カネイワ醤油本店の話

カネイワ醤油本店の話、本物の醤油

カネイワ醤油本店

カネイワ醤油TOP > カネイワ醤油本店

醤油発祥の地

醤油発祥のお寺醤油のルーツは、古代中国の「醤(ひしお)」であるといわれています。

「醤(ひしお)」とは広い意味で「食品の塩漬け」のことを指します。
つまり、醤(ひしお)の始まりは食品を塩漬けにして保存したものから始まりました。
果実、野菜、海草などを材料にした「草醤(くさびしお)」と呼ばれるもの、魚を使った「魚醤(うおびしお)」や肉を使った「肉醤(ししびしお)」、穀物を原料とする「穀醤(こくびしお)」などがありました。

「草醤(くさびしお)」はお漬物の原点、「魚醤(うおびしお)」は日本ではイカの塩辛などが有名ですね。日本における醤(ひしお)の起源は、魚や植物を塩漬けにして保存した縄文時代まで遡ることができるそうです。
さて、お話を戻しまして、醤油の原点は、その中でも米・小麦・大豆を使用した穀醤(こくびしお)が原型と考えられています。(それにちなんで、カネイワ醤油本店の生醤油は「穀醤(こくびしお)」の名前をいただいています)。

味噌から醤油へ

径山寺13世紀頃、南宋鎮江(現中国江蘇省鎮江市)の径山寺で作っていた、刻んだ野菜を味噌につけ込む径山寺味噌の製法を、紀州(和歌山県)の由良興国寺の開祖法燈円明國師(ほうとうえんめいこくし)が伝え、紀州・湯浅周辺に径山寺味噌作りが広まったといわれています。

このお味噌は現在の「金山寺味噌」のことです。

この金山寺味噌を作る際に出来る、味噌の溜(たまり)を調味料として使うとおいしいことを発見したことから、液体の醤油作りが始まりました。そして、紀州・湯浅で生まれた醤油の製法はその後も発展、全国に広がっていったといわれています。

日本の醤油事情

醤油醸造現在日本全国に醤油屋は1500軒近くありますが、本当に原料を仕入れてから製品までを一貫生産している醤油屋は最大手キッコーマンから小さな町の醸造元まで入れても一割強、つまり約150軒〜160軒ほどしかないと言われています。

その理由は醤油醸造にかかる時間。

醤油の原料である大豆のたんぱく質と小麦のでんぷんが発酵・熟成し、絶妙の調和を生み出すには、長期間にわたる発酵・熟成の時間が必要です。 それは、非常に手間がかかり大量生産には向かない方法です。しかし、そこには自然の力と時間によってはじめて生まれる「色・味・香り」の絶妙なバランスがあり、繊細で複雑な深い味わいがあります。カネイワ醤油本店は、そんな日本の味を支える醸造文化を今に伝える数少ない手造りの醤油醸造元の一つです。

カネイワ醤油本店

醤油造りカネイワ醤油本店の初代店主は明治時代後半に醤油の製法を醤油の生まれ故郷に程近い場所、湯浅醤油で名高い紀州・湯浅で学びました。

醤油醸造技術を身につけた後、自分自身での醸造蔵の設立を望んだ初代はその蔵の設立地に金屋町(現在の有田川町)を選びました。 その理由は、世界遺産にも登録される熊野古道を抱く紀伊山地、高野山系から湧き出る良質の水。 その水を醤油醸造に使うためにこの地に蔵の場所を求めたのです。

さらにこの地は鎌倉時代における仏教に新しい生命を与えた高僧である伝明恵上人の生誕の地でもありました。
カネイワ醤油本店の初代がこの地に根を下ろし、醤油醸造を始めたのは大正元年。

以来100年、この地でカネイワ醤油本店は豊かな自然に囲まれ、美しい水が流れる有田川の支流をすぐ隣に見る古い佇まいのカネイワ醤油本店の「醤油醸造所」の建物の中では、伝統的な大きな木樽による昔ながらの製法で季節を越えながら天然発酵熟成を続ける醤油たちが今日も生きています。

大量生産では決して出せない本物の味と香り、そして旨みを醤油の本場「紀州有田」からカネイワ醤油本店は自信を持って、今日も皆様にお届けさせていただいております。

醤油まめ知識

日本の醤油には長い歴史があり、各地で独自の風味や味わいを持つ醤油が開発されてきました。日本農林規格(JAS)では、製造方法、原料、特徴などから、「こいくち」「うすくち」「たまり」「さいしこみ」「しろ」の5種類に分類されています。そのうちカネイワ醤油本店が醸造しているのは「こいくち」と「うすくち」です。

醤油は八つの季節を越える
  • カネイワ醤油本店
  • 醤油は8つの季節を越える
  • 醤油の麹
  • 醤油造りの風景
  • カネイワ醤油スタッフ
  • 醤油の力
  • カネイワ醤油本店の醤油たち
  • 醤油への新しい取り組み
カネイワ醤油本店の百周年プロジェクト
カネイワ醤油本店会社概要
前に見ていたページへ戻る China English